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小机城のあるまちを愛する会 「小机城ガイドツアー」

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「小机城ガイドツアー」は、2021年9月から全5回にわたって開催されました。地元で活動を広げる「小机城のあるまちを愛する会」が小机城址周辺エリアを案内するほか、ゲスト講師の“城郭復元マイスター”二宮博志さんや“城郭アドバイザー”山城ガールむつみさんの案内のもと区外の城址や旧跡をめぐるといった充実の歴史散策ツアーです。取材では5回のうち2回に参加し、小机城址と茅ヶ崎城址について深掘りする体験をしてきました。

取材・撮影 大門瞳(港北区)


今注目の熱い城!「小机城コース」

かれこれ住んで10年近くになる港北区。自分が住んでいる町に城址があるとは知らなかった私ですが、「よこはま縁むすび講中」のプロジェクトに港北区の小机城にまつわるイベントがあることを知り、なんだかわくわく興味がわいてきました。

秋も深まってきた2021年11月14日、JR横浜線「小机」駅目の前にある城郷小机地区センターにぱらぱらと人が集まってきました。ここが今回の「小机城コース」の集合場所です。

いざ、出陣。
ツアーに集まる参加者たち。3人の子連れの私はすでに汗をかきながら参戦しました。小机駅には降り立ったことのなかった私は、自分が住む港北区内にもかかわらず、初めての街に探検に来たような気分でした。

このガイドツアーは、小机のまちを歴史で盛り上げようと様々な取り組みを行う「小机城のあるまちを愛する会(以下、城まち会)」が開催する全5回シリーズのツアーです。
この日は第2回で、城郷小机地区センター、長秀山本法寺、泉谷寺、刑場跡、小机城址、小机駅という小机城址一帯を約2時間かけて歩くコースです。地元の方を優先に募集し、小机の旧城下町に残る身近な寺院や歴史名所などをめぐるというコンセプトの回でした。

この回の案内役は “小机城ガイドツアーコーディネーター”で城まち会の活動に参加している木下豊さん。木下さんは以前菊名にある横浜市港北図書館で館長を勤めており、当時から地域のまちおこしに携わってきました。2017年に「小机城フォーラム2017」というイベントを企画したり、“小机城ガイドツアー”の組織を立ち上げボランティアで小机城見学の案内をするなど、城まち会が2018年に結成する前から、小机城の魅力を多くの人に知ってもらえるよう精力的に活動してきた方です。

いざ、出陣。
参加者のみなさんに解説する木下さん(写真中央)。木下さんは7年前、港北図書館長着任して間もなく小机城址まつりで初めて小机城に出会ってからその魅力にハマり、小机城のような山城が大好きになったといいます。現在は地元南区で太田道灌盛り上げに取り組みながら国内で多くの城を巡り、その魅力を発信。都内で城と歴史を語る場づくりにも取り組んでいます。

最初に訪れたのは日蓮宗「長秀山本法寺」。静寂なたたずまいのこのお寺は中世、綱島に開山されたそう。何度も鶴見川の氾濫の被害に遭い、現在の場所に移転しました。本法寺の寺子屋が小机学舎となって、現在の市立城郷小学校の前身になったのだといいます。お庭には、市の文化財に指定されている「石造龍吐手水鉢」がありました。一つの石をくり抜いて掘り上げられたリアルな竜の姿が圧巻でした。

いざ、出陣。
この日のコースはなかなかの運動量に。子ども連れの我が家は皆さんの後を追いながらになりましたが、他の参加者のみなさんは疲れることなく意気揚々と歩いていらっしゃいました。スタートして間もなく、訪れたお寺の山門や本堂などの建物、庭園などがとても立派で驚きました。文化財になるような芸術品も所有されているなど、旧城下町の豊かさと奥深さを感じます。

続いて、12年に一度観音様をご開帳する霊場を旧小机領下で33カ所廻るという江戸時代からの「小机領三十三所子年観音」巡りの一番札所とされる浄土宗寺院「泉谷寺」へ。こちらは初代歌川(安藤)広重の描いた大作「板絵著色山桜図」という県指定文化財を所有しています。そして太田道灌に小机城が攻められたときに小机城方の多くの兵士がこの地で処刑されたと伝えられている「刑場跡」を回って、小机城址のある「小机城址市民の森」に到着しました。

さあ、いよいよ、小机城の散策です。
天守閣を持つような大規模な城などまだない時代の中世に築かれた小机城は、天然の地形を城として利用したいわゆる「平山城」で、櫓や木柵が建てられ戦時に使われました。その遺構が残る跡地が、現在の「小机城址市民の森」になり、誰でも散策できるよう整備されています。

戦国時代、小机の地は、神奈川湊(神奈川区)と鶴見川、そして鎌倉街道の交差する交通の要衝であり、重要な軍事拠点でした。小机城の築年数は明確にはわかっていないそうですが、15世紀後半、江戸城を最初に築いたことで知られる太田道灌によって小机城が攻め落とされたという記録が残っています。この道灌による小机城攻めには2カ月もかかったそうで、攻略が難しい立地条件だったことがうかがえます。

その後廃城となっていたと考えられているそうですが、16世紀前半に北条氏によって横浜北部を含む関東支配の拠城として復興され、北条氏家臣の笠原越前守信為(かさはらえちぜんのかみのぶため)が「城代」に。現在小机町で30年来行われている「小机城址まつり」では武者行列パレードが行われており、その主役となるお殿様がこの笠原信為です。

笠原氏は領民思いの為政を行なったと考えられていますが、16世紀末、豊臣によって北条が滅ぼされると小机城も落城。17世紀徳川家康が江戸幕府を開くと、小机城は完全に廃城となったのだそうです。

小机城址は、城の歴史を伝える巨大な空掘(からぼり)や土塁、本丸、二の丸などの主な遺構が、ほぼ原型のまま今に残っている点が高く評価され、2016年にパシフィコ横浜で開催された“城”がテーマの大イベント「お城EXPO」に横浜市が小机城ブースを出展、2017年には小机城は「続日本100名城(※)」に選定されました。翌2018年に城まち会も結成され、城を主軸にまちづくりを展開、小机城は横浜市内外の城好き、歴史好きな人たちに知られる歴史名所となりつつあります。

※続日本100名城:財団法人日本城郭協会が2017年に定めた国内の名城リスト。日本を代表する文化遺産や地域の歴史的シンボルでもある城郭、城跡が選定されている。

今後、小机城址では発掘調査も進められる予定で、ますます注目が集まっているとか。木下さんや城まち会の皆さんも、これから小机城の調査が進み、価値が明らかになっていくことを楽しみにしていました。

いざ、出陣。
城址では大きな空堀を見ることができます。空堀とは、水をはらない堀のこと。水を入れる水堀よりも頑丈だそうです。その他、土塁や櫓の跡なども案内板に説明があります。二の丸跡にはベンチも設けられ、ちょっとしたピクニックスペースのよう。のびのびできる城址で、子どもたちは探検気分でご機嫌に。達成感とともにこの日のツアーは終了しました。

この日、木下さんはガイドツアーの活動を通して地域の人に「まちへの愛着」を育んでもらえたらと語っていました。私自身も今回その愛着が強くなったと同時に、普段暮らしている港北のまちの中に、実は歴史遺産が潜んでいるのだということを改めて感じた一日でした。

センター南駅近くにも小机城の支城が!茅ヶ崎城コース

さて、続いて2021年12月12日に私が参加したのは、都筑区にある茅ヶ崎城址から横浜市歴史博物館をめぐる「茅ヶ崎城コース」です。
前回行った小机城は、小田原北条の支配下の頃、周辺に多くの支城を構えていました。その一つが茅ヶ崎城です。

案内してくれた講師は、“城郭復元マイスター”と名乗り、城関係の活動を広く展開する二宮博志さんです。
二宮さんは、子どもの頃からのお城好き。その中で、「城」と「地形」の関係に興味を持ち、どうしたらお城をおもしろく見られるかを考えた結果、城周辺の地形も含めたジオラマ「城ラマ」を考案。偶然、自分が住んでいる地域に茅ヶ崎城があることに気づき、ここを「城ラマ」第一号のモデルにすることに決めました。そんな茅ヶ崎城に思い入れが強い二宮さんの案内とともに、ツアーが始まりました。

会場の様子
第4回ツアーでは、横浜市営地下鉄「センター南」駅前に集合。参加者の中にはリピーターという方もいました。

茅ヶ崎城は、14世紀末から15世紀前半にかけて築城されたと推定され、15世紀後半に最も大きな構えになったと考えられています。小机城同様、上杉氏や北条氏が関与していたといわれており、神奈川湊(現・横浜市神奈川区)と武蔵国府(現・東京都府中市)を結ぶ鶴見川支流の早渕川を背にした河岸段丘の上に築かれているということから、交通の要所となる場に自然の地形を利用して計画した当時の人たちの賢さが垣間見えます。

ツアー中、二宮さんの口から何度も出てきたキーワードが曲輪(くるわ)です。曲輪とは、堀や土塁で区切られた空間のこと。ここ茅ヶ崎城址は、曲輪(郭)や土塁、空堀などが良好な状態で残る城郭遺跡だそうです。 そういえば、前回の小机城でも、西と東に小山のような大きな曲輪がありました。

二宮さん曰く、「お城は本丸に行くまでの道が大切」とのこと。地形の起伏によって、どう城に入っていくのかが分かる、と言います。そして、城の周りから観察していくことで、いかに敵が入れないようにしていたかが分かるそうです。 なるほど、当時曲輪だったとされるエリアの早渕川側は、住宅地となった現在も切り立つような断崖です。この地形は早渕川からやってくる敵の攻撃を避けるためだったのではないでしょうか。城を通してまちを見ることの面白さを感じ始めます。

会場の様子
城の出入り口でありながら城の防御と攻撃ができるよう設けられた「虎口」や、空堀、井戸などさまざまな遺構が残っている茅ヶ崎城址。二宮さんの熱心な解説に引き込まれます。

さまざまな遺構のお話の中でも興味深かったものの一つが「堀」です。小机城址にも立派な空堀がありましたが、やはり茅ヶ崎城址でも空堀の跡がありました。城によっては、水を張っていない空堀が通路の役割を果たしていたものもありますが、茅ヶ崎城では空堀は通路として使われていなかったようだとのこと。では何のために使われていたのでしょう。茅ヶ崎城では、郭から郭に移動するための防御構造がなかったといい、そこで、郭を守るために堀を掘ったのではないか、と二宮さんは言います。その空堀を実際に見ようと、ツアー一行は林の中へ、草をかき分けて突入しました。すると、そこには深い堀。現在は遊歩道になっていますが、昔はこうして深い堀を設けて敵が侵入できないようにしていたのかと想像力が掻き立てられます。

会場の様子
草むらをかき分けて進む一行。この先に、大きな空堀がありました。実際に歩いてみると想像力が膨らみます。

ちなみに、関東地方のお城は崩れにくかった、とも二宮さん。というのも、関東ローム層の地質はそもそも崩れにくく滑りやすいらしく、それだけで強い防御力になったそうです。東日本に石垣のお城が少ないのは、石垣を作る必要がなかったからではないか、と二宮さんは考察します。

会場の様子
解説する二宮さん。二宮さんは、城まち会ができる前から木下さんらと一緒に小机城の魅力を広めるための活動に協力してきました。茅ヶ崎城コースに先立って開催された「小机城ガイドツアー 第3回 権現山城・青木城コース」のゲスト講師である”山城ガールむつみ”さんも、城まち会結成前から城のおもしろさを地域に伝える活動やイベントをともに盛り上げてきたつながりがあります。

そんなちょっとした冒険ルートのあとにたどり着いたのが、茅ヶ崎城址の南側にある「根小屋」と言われる場所です。「根小屋」とは、小机城の入り口にもあり、家臣などが生活拠点としていた場所の呼称だそうです。この辺りからは遺骨を収めた容器や卒塔婆が発見されていることからも、その可能性があることがわかります。

二宮さんが、こちらに平時の屋敷があるということから、当時想定されていた敵の侵略方向も想像することができる、と教えてくれました。北側は早渕川、いわば天然の“堀”と、河岸段丘の“崖”で敵の侵入を防ぎ、安全な南側に住まいを設けた、というわけです。

二宮さんの視点は、一貫してお城を単体でなく地形とともに全体で捉えるものでした。これは、小机城や他の城址にも共通することなのだな、とお話をうかがいながら感じました。
二宮さんはこう続けました。「お城は使われたり、使われなくなったりするときがあるもの。ずっと同じように固定されているわけではなく時代によって変遷がある」。確かに、歴史の中で攻め落とされ廃城になったかと思えば、再び改築され、拡大したり。今は住宅地として開発されてしまったところも、かつては城の重要な曲輪だったのかもしれない…そんな風にイメージしてみると、現代のまちや土地に、思い入れが増してきます。地形の広がりと時間の流れ、二つの軸でお城を観察する二宮さんの言葉一つひとつが印象に残る回でした。

そこから歩く10分ほど、最終目的地の横浜市歴史博物館で横浜市の原始時代からの歴史の展示を見学し、この回のツアーは終了。

帰り道では、二宮さんの楽しい解説効果もあってか、参加どうし感想を言い合ったり、歴史の話が始まったりと会話が熱を帯びてきていました。
今回ツアーに参加された主婦(港北区在住)は、コロナで外に行けなくなり、地元に目を向けてみたところ、ツアーが開催されていることを知って参加したそう。「いつもは都内でのつながりが多かったけれど、地元横浜もいいなと改めて思った」と感想を寄せてくれました。

参加した2回のツアーを終えて、私たちが何気なく住んでいるこのまちに、豊かな歴史の証しが隠れていたのだということを改めて実感しました。実際に歩いて、地形とともに歴史を学ぶと、当時の人たちの知恵が伝わってきます。 木下さんがおっしゃっていた「まちへの愛着」が、一層増した2日間でした。

About

小机城ガイドツアー

第1回小机城コース 2021年9月25日開催
第2回小机城コース 2021年11月14日開催
第3回権現山城・青木城コース 2021年11月28日開催
第4回茅ヶ崎城コース 2021年12月12日開催
第5回蒔田城・太田道灌コース 2022年1月23日開催

(第3弾の詳細は港北公会堂のHP参照 https://kohoku-kokaido.jp/information/event/376/

information

小机城のあるまちを愛する会(facebook)

https://www.facebook.com/kozukuejou/

この記事を書いた人

大門瞳 森ノオト ライター

大阪生まれの横浜育ち。学生時代まで南区で過ごし、東京暮らしを経て、結婚・出産後は港北区へ。ツアーを経て、港北区の歴史に興味がわいてきている。

よこはま縁むすび講中

http://yokohama-enmusubi.jp/