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横浜市民ギャラリーあざみ野 あざみ野カレッジ
「青葉区の大山街道を知る」講座とまちあるき

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伊勢原市にある霊峰「大山(おおやま)」へ詣でる「大山街道」をご存知ですか? 日本橋から大山を目指す大山街道の一つ「矢倉沢往還(やぐらさわおうかん)」は、現在の青葉区も通るルートで18世紀頃民衆に人気の旅路だったそうです。2021年11月13日(土)と27日(土)に「青葉区の大山街道を知る」と題して、講演と現地散策という2本立ての講座が横浜市民ギャラリーあざみ野で開催されました。今は車が行き交い、閑静な住宅街が続く現代的なまち並みの中で、かつての宿場町の賑わいと人々の祈りを感じる史跡に出会うことができました。

取材・撮影 出口ひとみ(青葉区)


1、学び編「大山信仰と大山道」

この日の会場となる横浜市民ギャラリーあざみ野のセミナールームには、続々と人が集まり、あっという間に満席に。会場には受講生の熱気があふれていました。
横浜市民ギャラリーあざみ野といえばアート関連のイベントを多く開催している施設として知られていますが、地域の歴史や人の営みを伝える「あざみ野カレッジ」というシリーズの講座も開催されています。今回は大山街道がテーマということで、私は取材ができるこの日が来るのをとても楽しみにしていました。私は日本橋の袂で働いているので、日本橋を起点として始まるこの「大山街道」に興味があったからです。

講師は、伊勢原市文化財保護審議会委員の川島敏郎さん。高校の地歴科の先生だった川島さんは、現役時代に大山に興味を持ち、調べるうちに、色々な文化が大山でつながっていることに感銘を受けて、研究を続けているそうです。

神奈川県伊勢原市にある「大山」の山頂からは縄文時代後期の土器片などが発掘されていて、原始・古代から絶えることなく信仰の対象とされてきたと考えられます。江戸時代になると大山詣りは、物見遊山の要素も加わり、庶民の間で大流行したそうです。

川島先生によると大山が信仰の対象となり、注目を集めた理由は、次の6つだと教えてくれました。

  1. ①大山は「雨降山」とも称され、雨乞いなど「水」に関して霊験あらたかだったため、多くの農民たちが雨乞いに訪れていた。
  2. ②遠くからも美しい山姿を確認することができ、漁師たちの目印とされていた。
  3. ③江戸の庶民の間では15~16歳の男子の初めての大山詣りを「初山」といい、成人になるための通過儀礼のように扱われていて、大山は一人前の大人として成長したことを祝福し証明する山として位置づけられていた。
  4. ④人は死ぬと山中に他界するとされ、茶湯供養(先祖供養の意)の山とされていた。
  5. ⑤修験者が山林で修行するパワースポットとして注目されていた。
  6. ⑥大山詣りと江ノ島・鎌倉・金沢八景の見物、つまり信仰と物見遊山が結合していた。

当日資料として配布された葛飾北斎作の「鎌倉・江ノ嶋・大山新板往来雙六」には、往路に「東海道」、復路には現在の青葉区や都筑区も通る「矢倉沢往還」が描かれていて、あざみ野付近の「荏田宿」もマスに登場します。 この「矢倉沢往還」、具体的には赤坂見附・青山を起点として渋谷・三軒茶屋・瀬田、二子の渡(多摩川の渡)・溝の口・荏田・長津田を経て、下鶴間・海老名・厚木・石田を経て大山に向かう道で、現在の国道246号線に並行し、往来の多い東海道の脇街道としても機能していたそうです。

当日配布された葛飾北斎画の双六
当日配布された葛飾北斎画の双六にはサイコロやコマもついていて実際に遊べるように。かつての人たちもこの双六で遊びながら大山に思いを馳せたのかもしれません。

大山街道の概要や北斎の双六のマスと「大山への主な参詣道略図(近世末)」(『新編相模国風土記稿』その他による・有賀密夫図)を照らし合わせながら要所の解説、各地に残る道標(みちしるべ)や燈籠がある場所などについての紹介、大山詣りに対する当時の人々の思いなど様々な角度から大山信仰と大山街道について語られ、あっという間に2時間が過ぎていきました。

参加者からは富士山の山開きと絡めた質問も
参加者からは富士山の山開きと絡めた質問も。関心の高さが窺えました。

母娘で参加していた青葉区在住の女性は「2回連続で参加します。歴史について調べたいことがあって検索している時に、こちらの講座を見つけて申し込みました。いつか何日かに分けて実際に大山街道を歩いてみたいと思っています」と話してくれました。

川島先生と当講座を企画された横浜市民ギャラリーあざみ野主席学芸員の沼田英子さん、当企画担当の中村康裕さんに企画の意図についてお伺いしました。

左から川島先生、中村さん、沼田さん
左から川島先生、中村さん、沼田さん。大火や災害があったため実は「大山」に関する資料は少ないそうです。川島先生は「石でできた道標などは大山や大山信仰を知る貴重な資料ですが、今調査しておかないと劣化などによってどんどん存在が薄れてしまう」と話します。

川島先生はこの講座で「大山詣りには物見遊山(レジャー)の側面があり、18世紀の日本で庶民に人気があったこと、また、実際にどんなルートを通っていたのか」を伝えたかったのだそうです。そして、当時実際に大山を歩いた人が記した「大山旅案内書(ガイドブックのようなもの)」や「旅日記」といった古文書を実際に読み解くことで、さらに理解が深まりますよ、と教えてくれました。古文書は簡単には読めなさそう……と思い、読むコツを伺うと、「慣れと根性です!当時の旅日記や旅案内がたくさん残っているので、ぜひ読んでほしいです」と話していました。

地元に歴史ある大山街道の名残りがあることを多くの人に知ってほしい、楽しく学んでほしいと葛飾北斎の双六を解説するスタイルで講座を企画した沼田さんと中村さん。当日参加者に配布されたその貴重な双六は、三菱一号館美術館の特別な協力を得て用意ができたそうです。沼田さんと中村さんお二人のこの企画に対する思いを聞くことができ、ますます「青葉区の大山街道」に興味が湧いた私。さぁ、いよいよ青葉区の大山街道、荏田宿周辺を実際に歩きます。

2、 散策編「大山街道・荏田宿周辺を歩く」

前回の学び編から2週間後、実際に都筑区、青葉区の大山街道を歩く講座が開催されました。お天気は最高の晴天! まさに、まち歩き日和! この日は先日「学び編」でも解説していただいた「矢倉沢往還」の一部を辿るルートで、具体的には横浜市営地下鉄線「中川駅」を出発し、東急田園都市線の「江田駅」を目指して歩きました。

ガイドをしてくださったのは、大山だけでなく数多くの文化財がある伊勢原市で歴史と文化に関する展示会やウォーキングイベントなどを通じて市の魅力を発信する「雨岳ガイドの会」から13名の皆さんです。参加者は1グループ3~4人の3班に分かれてまち歩きがスタート。私は庄司隆さん(伊勢原市在住)、池田とみ子さん(伊勢原市在住)率いる第3班に同行しました。

軽く準備体操をして横浜市営地下鉄線「中川駅」を出発!
軽く準備体操をして横浜市営地下鉄線「中川駅」を出発!本日のゴール、東急田園都市線「江田駅」まで大山街道ゆかりの史跡をたどります。

参加者には、今回の講座用に手作りのマップが配られました。史跡のイラストも描かれており、とても見やすく、見ていて楽しいマップです。

まちあるきマップ
横浜市民ギャラリーあざみ野のスタッフさん作成の、とても見やすくて楽しいまちあるきマップ。手書きの味わいが、いい!

古さと新しさが共存する閑静な街並みを抜けてまず最初に立ち止まったスポットは「老馬鍛冶(ろうばかじ)山不動堂・不動滝(霊泉の滝)」。ここから本日歩く大山街道に入ります。

お不動さんがある場所から急な階段を下ったところに不動滝があります。
お不動さんがある場所から急な階段を下ったところに不動滝があります。

あゆみが丘から早淵川に抜ける、かなり交通量の多い道路の脇にひっそりと小さな滝「霊泉の滝」があります。この馬鍛冶山の滝には様々な霊験があると昔から言われているそうで、各地から色々な願いをもってこの滝に多くの人が訪ねて来たそうです。特に「雨乞い」の効果は抜群だったそうです。

小机城址市民の森
静かに水が流れる不動滝。滝を石の不動尊がひっそりと見守っています。参加者の方々と恐る恐る水に触ってみると、それほど冷たくはありません。この滝の周辺の中川町で日照りが続くと石の不動尊に滝の水をかけて祈ると必ず雨が降ったと言われているそうです。

歩き進めると次の史跡「下宿(しもじゅく)庚申塔」に到着。ここは江戸方面からの荏田宿の出入り口にあたり、この小さなお堂は荏田村下宿の女講中12名によって寛政5年(1793年)に建てられたそうです。ここで、60日ごとの庚申の日に女講中が疫病や厄払いのため眠らずに祈願をする習わしがあったといいます。

下宿庚申塔で庄司さんの解説を聞く参加者の皆さん
下宿庚申塔で庄司さんの解説を聞く参加者の皆さん。車の往来も多いので注意しながら見たい。祠の中には左に「お地蔵様」、右に「庚申塔」が見える。ぜひ中も覗いてみて。

次に向かったのは「荏田宿の看板」。当時の荏田宿のまち並みが描いてあり、薬屋や餅屋、鍋屋など、どんな種類のお店が並んでいたのかも書かれています。

荏田宿の看板
いつも何気なく通り過ぎていた場所に荏田宿の看板が!どんなお店が荏田宿にあったのかを想像しながら見ると楽しい。

バラエティに富んだお店の数々。当時の賑わいが想像できます。この宿場の中には、江戸時代後期の名士、渡辺崋山が泊まった宿もあったそうです。「ここに鍋屋と書いてありますね」「こんなに色んな種類のお店があったんですね」参加者どうしの会話も弾みます。当時の賑わいに思いを馳せながら、次の目的地「真福寺」へ。

真福寺が見えてきました
真福寺が見えてきました。境内の入り口にある大きなかやの木が私たちを迎えてくれました。

真福寺はもともと現在の荏田町自治会館の場所(青葉区荏田町)にありましたが、老朽化のため大正年間に現在の場所に移りました。近隣住民だけでなく、当時荏田宿で休息をとった人たちも真福寺を訪れたそうです。当日は私たちもここで少し休憩をしました。手入れの行き届いた境内はとても気持ちがよく、木々が紅葉していて気持ちもリフレッシュできました。

本堂に向かって左手の収蔵庫には、国指定重要文化財の木造釈迦如来立像が保管されていて、普段は12年に1度「子年」にしか開帳されないそうですが、真福寺のご住職のご厚意で計らいで、この日は特別に扉を開けていただき、私たちは貴重な釈迦如来像を拝観することができました。(写真撮影は不可)また、真福寺のご本尊「木造千手観音立像」が奉納されている本堂には、旅人や近隣住民が残した「絵馬」が多く残ります。当時を生きる人の祈りや願いが今も残る貴重な場所です。

お堂の中に飾られた絵馬を確認する参加者の皆さん
お堂の中に飾られた絵馬を確認する参加者の皆さん。大絵馬を含む約70点の絵馬が飾られているとのことで、薄暗いお堂の中を覗くと大きな額縁のような絵馬が見えました。

真福寺での休憩を終えた私たちは鎌倉時代からこの地に居を構える「小泉家」の庭の一角にある「荏田宿常夜燈」へ。常夜燈とは、元々神仏を供養するために、昼夜ともし続けられている灯りのことを指していたようですが、街道沿いの夜道を照らす建造物も同じく「常夜燈」(燈籠)と呼ばれるようになりました。現在の街灯のような役割をもつ建造物です。こちらにある「荏田宿常夜燈」は高さ230センチの立派なもので、下の石には荏田宿のちょうど真ん中に位置するという意味で「中宿」と刻まれています。

個人のお宅の軒先にある常夜燈
個人のお宅の軒先にある常夜燈。文久元辛酉年(1861年)8月吉日という文字や荏田宿の世話人、近隣の有志の名前が刻まれていました。

いよいよ散策も終盤へ。荏田城址はこの常夜燈から5分ほど歩いた小高い丘にあります。空堀に囲まれた山城である荏田城の歴史は古く、平安時代末期に源義経の家臣、江田源三の居城だったという説があります。戦国時代には後北条氏の支配下にあり、小机城の支城として曽祢采女助(そねうねめのすけ)という武将が守り、後北条氏の滅亡とともに廃城となったと考えられているそうです。荏田城跡の広い敷地は今はほとんどが竹林になっていて、小高い丘の麓からその全貌を私たちは見ることができません。丘の上に建つ荏田城からは、その昔遠くまで見渡せた見晴らしのいい場所だったようです。

竹林が広がる荏田城址
竹林が広がる荏田城址。高さは約20メートルの台地。ここに全長160メートル、幅70メートルの城郭が築かれていました。

最後に荏田城址近くの「庚申供養塔」で「供養塔」についてお話を伺いました。

庚申供養塔
多い時は月に何万人もの人が往来した当時の道筋の名残りがある場所。この道の脇の木蔭にひっそりと建つ庚申供養塔は、旅の途中で倒れて亡くなった人のために作られたのでは、と言われているのだそうです。

そしてここで、ガイドの池田さんはご自身の携帯電話に保存されていた伊勢原市の大山街道の写真を参加者に見せながら、「今私たちが立っているこの道がここ(伊勢原市)につながっているんですよ。ぜひ伊勢原の大山街道も歩いてみてください。お待ちしています」と話してくださいました。

最後に一緒に歩いたグループで記念撮影。お疲れ様でした!
最後に一緒に歩いたグループで記念撮影。お疲れ様でした!

学び編も母娘で参加していた青葉区在住の女性にお話しを伺うと、「東急田園都市線沿いに住んでいるが、開発前から歴史ある街道が自分が住んでいるまちにあることを知れてよかった。実際に歩いてみて、荏田宿の立派なまち並みや当時の賑わいの雰囲気を感じることができて、とても面白かった。実際歩くことの意味を感じた」とのことでした。

私も講座に参加して、大山信仰や大山街道にさらに興味が湧き、数ある大山街道の要所を訪ねてみたいと思いました。丁寧に準備をしてくださった企画スタッフの皆さんの思いも感じることができた温かく楽しい講座でした。

About

よこはま縁むすび講中 あざみ野カレッジ特別講「青葉区の大山街道を知る」

①学び編「大山信仰と大山道」2021年11月13日(土)
②散策編「大山街道・荏田宿周辺を歩く」2021年11月27日(土)

https://artazamino.jp/event/azamino-college-20211113/

information

横浜市民ギャラリーあざみ野

横浜市青葉区あざみ野南1-17-3 アートフォーラムあざみ野内

TEL 045-910-5656

https://artazamino.jp/

この記事を書いた人

出口ひとみ 森ノオトライター。富山県出身。横浜市在住。大好きな富山と横浜がゆるく楽しくつながるのが夢です。

よこはま縁むすび講中

http://yokohama-enmusubi.jp/