【シリーズ 横浜北部文化考】
楽しい、おもしろい、心地よい。そんな居場所を徒歩圏内に。
「住みたいまち」を自らつくる、北部住民のまちづくりカルチャー
鉄道沿線に新しく開発された住宅地が多く、いろいろな人たちが外から入って暮らし、まちづくりやボランティア活動も活発……こんな横浜北部の共通項を、この記事では「まちづくり文化(カルチャー)」という切り口で考えてみようと試みました。横浜市のまちづくりに長年関わってきた建築家・都市計画家の菅孝能さんへインタビューを行い、住民が自分たちに必要な施設を整備する際横浜市が助成する制度、通称「まち普請」を使ってまちの中に「居場所」づくりを実践してきた実例も紹介します。(上写真提供:松井奈穂)
取材・撮影 岩嵜久美子
1 菅孝能さんインタビュー
「住むまち」として成熟する横浜北部の現在地
横浜北部はどんな特徴のあるまちなのか、まちづくりにはどんな特徴があるのか? それをまちづくりの専門家に聞いてみたいと、40年来、横浜市の都市開発・整備計画やまちづくりに広く関わってきた都市プランナーの菅孝能(すげ たかよし)さんを訪ねました。
「北部4区は、成り立ちからいって特徴があります。そもそも横浜市全体は、まず港や桜木町駅を中心とした都心部が発展し、次に工業地として開発された京浜臨海部から磯子・金沢区などの南部、 最後に住居エリアとして北部の順に開発されたんですよね」 と、菅さんは現代の横浜のまちづくりをその歴史から教えてくれました。
横浜の発展の歴史に、鉄道開発が影響してきたことはよく知られています。横浜の鉄道は明治期から産業のために敷設されてきましたが、昭和28(1953)年に東急電鉄より多摩田園都市開発の構想が発表されるなど、この頃、国内で初めて人が住む場所をつくるための鉄道開発が始まりました。当時は東京で人口が急増していて住宅不足が社会問題化しており、郊外の新たな宅地として東急が着目したのが、川崎市の宮前地区から横浜北部の大山街道沿い(国道246号線)エリアでした。主な交通手段がバスしかなかった地域に田園都市線を敷設し、鉄道開発を併せたまちの整備を進めていきます。(参考:「東急100年史(WEB版)」株式会社東急HP)
菅さんは、この東急の宅地開発と横浜市が主導した港北ニュータウンに代表される大規模なまちづくりが横浜北部の特徴だろうと話します。「東急は駅を拠点にしたまちづくりを計画的に進めていて、都内などから移住者が増加しました。東横線、田園都市線、そして横浜市営地下鉄もまちに必要な機能を駅中心に整えるスタイルで“住むまち”をつくってきました。また、横浜北部では、市内の他の地域に比べて住民が一番若いことも特徴ですよね。高齢化しているのは横浜市の中部、次が南部。北部では、若い世代が『自分たちの住環境を豊かにしていこう、ないものは自分たちでつくろう』と、住民活動が盛んになったということでしょう」とのこと。 この比較的若い世代の「住まいの近くにもっといいもの、欲しいものを自分たちでつくっていこう」という意識が、今の北部のまちづくりのカルチャーの土台になっていったことが想像できます。
「まち普請」にみる、このまちのストーリー
自分たちに必要なものは自分たちでつくる…その実例として、市民自ら発案したまちの整備に対し横浜市が助成する「ヨコハマ市民まち普請事業」、通称「まち普請」で整備された拠点が横浜北部にいくつもあるので紹介していきましょう。 この制度は、地域課題を解決するための施設整備に対し最大500万円補助するもので、対象は防災、多世代交流、環境保全など、どんなテーマでもよいのが特徴。平成17(2005)年度に始まり、15年以上も続く横浜市独自の事業です。
「普請(ふしん)」とは普段あまり聞きなれませんが、明治以前は建築や土木、相互扶助による共有財産の維持管理なども指す言葉でした。「普(あまね)く、請(こ)う」とも読み、道路のような公共インフラの整備や家屋の修繕などを地域住民が協力して行うこと、という意味が含まれています。転じて横浜市の「まち普請」には、「公共」は行政のみによって担われるものではなく、市民が主体的に関わり協力し合うことで、地域の活動の輪が広がっていくようにとの思いが込められています。
住民発信の気運が高い北部にはまさにその思いを実現した多くの「まち普請」があり、そのまち独自のストーリーをみることができます。
- 例えば、青葉区美しが丘にある「百段階段」のカラーリングアートは、長年地域活動をしてきた方が、地元の子どもたちが地域の階段を「百段階段」と呼んでいることを知り、そのネーミングセンスと地域への愛着心に感動をしたことがきっかけで始まりました。
参考記事
https://morinooto.jp/2019/03/25/fujiimotoko/ -
同じく青葉区にある荏子田太陽公園には230株もの美しいバラが咲き誇るバラ園がありますが、以前この公園はうっそうとして見通しが悪く、子どもたちにも遊びに行かないよう言われていたといいます。なんとかしなくてはと複数の住民グループが立ち上がり、バラの愛好家たちと花壇を作るところから始まりました。令和元(2019)年にはまち普請を活用して、太陽公園ローズハウスという拠点が整備されました。
参考記事
https://morinooto.jp/2018/05/17/taiyourose/
https://morinooto.jp/2019/05/18/opengardenreport/ -
都筑区の東山田工業団地の事例では、まち普請への申請理由を当初は「住工混在型の問題(騒音・悪臭)の課題解決のため」としていましたが、「ある高校生の「『準工業地域』は魅力だと思っていました」という発言をきっかけに、「住宅と工場が混ざり合うことを魅力として発信する」という視点にガラリと変わったといいます。まち普請で整備した工業団地内のエリアマップやサインは、地元小学生向けの工場見学ツアー「まち探検」にも活用されました。
参考記事
https://morinooto.jp/2016/03/14/higashiyamata/ -
港北区の大倉山コンシェルジュパークは「仕事ができるワーキングスペースがあると便利」という母親世代の話がきっかけで、子育ての地域活動グループが中心になり、商店街の中に気軽に立ち寄れる交流拠点が整備されました。東日本大震災を期に、都心に通っていたママたちの意識の変化が新たな拠点づくりにつながった事例です。
参考記事
https://morinooto.jp/2015/10/08/mieru/ -
緑区・霧が丘の住宅街に多世代・多文化交流拠点づくりを提案した「まちとも霧が丘(現NPO法人霧が丘ぷらっとほーむ)」は、子育て世代・シニア世代・外国人向け交流団体が、まち普請をきっかけに一つになったグループです。まち普請に申請するためのハードな課題とスケジュールを共にクリアしていく過程でグループ内の結束が強まり、本気のまちづくりグループに進化していきました。
参考記事
https://morinooto.jp/2022/09/28/kiripura/
令和元(2019)年度から2年間、まち普請の審査員を務めた菅さんは、横浜北部で採択されているグループについて、若い世代が中心になっているようだと指摘します。実際、緑区の霧が丘やCo-coya復活プロジェクト、都筑区のモヤキラCAFE実行委員会などは30代から40代のメンバーが中心のプロジェクトです。これまで地域のまちづくりというと、自治会や町内会といった地域の組織で行うことが一般的でしたが、北部の住民の特徴である働き盛りの若い世代が新たなコミュニティをつくり、まちづくりを推し進めていることが分かります。
この「コミュニティ」について、菅さんは、興味深い分類方法を教えてくれました。
地域の伝統的な共同体であった講中や現代でいう自治会や町内会などを「地縁型コミュニティ」、地域に縛られずに趣味や関心でつながる「テーマ型コミュニティ」とする考え方が、都市計画の仲間の話で出てくるそうなのです。
「地縁型は親睦には熱心ですが、自分たちのまちを動かして何か新しいことをやろうというところまではあまり足を踏み出さない。テーマ型は自分たちの住んでいる環境をよくしたいとか、緑を増やす、川をきれいにする、子育て支援などの活動です。必ずしも地域だけで閉じなくて、同じような活動をしようとしているところと連携し、お互いに学び合っていいところを取り入れています。北部4区は、もちろん旧来の地縁型コミュニティもありますが、テーマ型コミュニティの活動が活発になっていると思います」
求められる徒歩圏内の居場所づくり
もう一つ興味深いお話を伺えました。まち普請は、事業を開始したばかりの頃は緑地や道路など土木整備を目的とした採択例が主でしたが、ここ数年は、高齢者や子育て世代が集まるコミュニティカフェといった交流施設、いわゆる“居場所”づくりが応募数でも採択数でも半数ほどを占めているのだそうです。これを菅さんは、「すごくいいことだと思っています」と歓迎します。
これまでの横浜北部は、“横浜都民”と呼ばれたような日中都内へ通勤する層が多いという大きな特徴がありましたが、今はその状況に変化が。「仕事帰りに居酒屋で仲間と息抜きをしていたような人が、定年退職してリタイアすると地域での居場所がない。大きな企業もオフィススペースを減らす動きが出ているようにリモートワークが増え働き方が変わってくると、東京まで満員電車に揺られて通う必要はなくなる。自宅で働くことになった現役世代にとっても居場所になるところが必要になってくるでしょう。
そうすると、小学校の校区程度の範囲に、歩いて行け、お茶を飲んでおしゃべりして過ごし、『今日はいい日だったね』などと言って帰る。そういうことを通して、地域の住民同士で自分たちの街のことを話し合い、行動に移していく場所が大切になってきているのです」。と、これからは徒歩圏内での居場所づくりが社会全体で求められると説きます。
たしかに、まち普請で整備された青葉区美しが丘の百段階段や荏子田太陽公園の太陽ローズハウスなどは、駅から離れた、保育園や学校に隣接する生活の一部とも言える場所にあります。これからのまちづくりは、このような小規模単位の地域が起点になり、そしてその主体は行政でも企業でもなく、その地域をよく知る住民たちなのだということがよくわかってきました。
2 まち普請の実例レポート
地元民と移住者がつくる、住みたくなるまち~緑区・中山Co-coya
徒歩圏内の小さな住宅街を753(なごみ)エリアと名付け、住民がまちづくりを行っている地域があります。令和2(2020)年度のまち普請にも採択された、緑区・中山にある「職住一体型施設Co-coya(ココヤ)」。この地域の中心に位置する築70年の空き家を改装し、2階をシェアオフィス、1階を地域のコミュニティスペースに整備し、若いアーティスト層に人気だというので、取材してきました。
特徴は地主さんと移住者が一緒になって753エリアやCo-coyaを盛り上げるプロジェクトを行なっていること。プロジェクトの仲間たちが心地よい居場所づくりをしていくなかで、才能豊かなアーティストが自然と集まる魅力あるまちになりつつあります。
プロジェクトの発起人の一人で建築家・空間デザイナーの関口春江さんに話を伺いました。
地主・齋藤好貴さんと移住者・関口さんのビジョンが一致し、始まった
関口さんは、新治の森で自然農園の手伝いを始めたことがきっかけで、中山エリアの地主である齋藤さんと知り合います。齋藤さんが753エリアでカフェをしていた古民家を10年ほど前に引き継ぎ、自然農園の野菜や醤油、味噌といった発酵食を味わえるカフェを仲間と始めました。
齋藤さんと知り合った当初、関口さんはただならぬものを感じたといいます。
「齋藤さんは、土地を守る意識が強い。50年後、100年後という意識で話され、今まで出会ったことのないタイプの地主さんだと感じました。魅力的な土地にしたいと最初会った時から言っていたのを覚えています」
齋藤家が地主の通称「753エリア」は、齋藤さんの祖父の時代に田畑を宅地化した地域。モータリゼーションの時代を予見していた齋藤家は、もともと私道だった753エリアの生活道路を自動車が通れる幅4メートルの道に整備し、その両脇を借地の宅地にしました。
齋藤さんは、地域が高齢化、空洞化する前に、住みたい人が(ここを選んで)来るような地域にしたいという思いがあり、約25年前に多目的スペース「なごみ邸」を自ら開設。人が訪れる仕掛けづくりをはじめていたのだといいます。
関口さん自身ももともとコミュニティを育みたいという意識があったそうで、齋藤さんの「土地を守っていく」思いと合致する偶然的な出会いでした。
「まち普請」でも齋藤さんには整備提案グループメンバーに加わってもらいました。審査では地域との合意形成が重要なポイントになりますが、齋藤さんが地元の方との橋渡し役になり、地域からの信頼感も高まったと話します。
アーティストが棲まい人が集う場の魅力
Co-coyaの1階にはアトリエのレンタルスペースがあり、現在、パティシエ、画家、ベンガラ染め職人、陶芸家といった多彩なアーティストが個室を工房やアトリエとして利用しています。訪れる子どもたちに大人の仕事がデスクワークだけでないことを知ってほしいという思いから、手仕事をする人向けにアトリエ貸しすることにしたのです。「Co-coyaには手仕事できるほどの広さがある上、都心に近い。緑も多くほどよく落ち着いた余裕のあるこの緑区という地域は、アーティストが住まうのにちょうどいいのかもしれません」と関口さん。
関口さん自身も、ここで建築家として実現したいことがありました。それは自然素材を使った建物づくりです。なるべく環境に負荷をかけずに、あるものを生かすことをテーマに、建物を解体して出た土を壁や漆喰、土間に再利用。貝殻など自然界にある原料を使った三和土(たたき)という工法で土壁や土間を仕上げました。土間と畳の部屋をコミュニティスペースに活用したのは、地域の子どもたちにこの空間を体感して欲しかったから。大人になり自分の住まいを考えるときに思い出してくれると嬉しい、と語ります。彼女自身がやりたいことを体現しているからこそ、この場所には説得力が生まれ、多くのアーティストが集まってくるのだと感じます。
753エリアは地主、移住者、地元アーティストそれぞれがやりたいことを実現している場所でした。そしてお互いがよい影響を与え合い、楽しい、おもしろい、心地よい、そんな居場所が徒歩圏内にある、住んでみたいまちでした。誰かと誰かがつながることで、こんなまちまでつくることができる。これが菅さんのいう「協働」の賜物なのかもしれません。
美しが丘の住宅街、都筑区の工業団地、中山の753エリア。縁あって同じ地域に住み、志を同じにする仲間が集まり、心地よい場所をつくる。そんなまちづくりカルチャーが横浜北部にありました。
ふと、私は、自分の娘のふるさとはここになるだろうか、と思い至ります。私自身、ふるさとの京都・丹後に帰るとほっとし、学生時代の楽しかった思い出が私を元気にしてくれます。
このまちでの居心地のいい暮らしは娘のふるさとの記憶になり、将来、遠く離れた土地で暮らすことになっても、きっと彼女を支えてくれるでしょう。住みたくなる場所、帰りたくなる場所。この北部がまた、今ここに住む誰かのふるさとであって欲しい、そう思います。
information
ヨコハマまち普請事業(横浜市)
https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/suishin/machibushin/
株式会社山手総合計画研究所
753ビレッジ
職住一体型地域ステーション Co-coya
https://www.instagram.com/cocoya_nakayama/
この記事を書いた人
岩嵜久美子
横浜市緑区在住。自然豊かな海の京都・丹後で生まれ育ち、就職のため関東へ。育児と仕事に追われながらも、合間を見つけて書くことが自身の楽しみになっている今日この頃。