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かつての庶民のレジャーロード・横浜北部を走る「大山街道」
2023年3月 公開

【シリーズ 横浜北部文化考】
かつての庶民のレジャーロード・横浜北部を走る「大山街道」

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山岳信仰・修験の地として名高い大山(神奈川県伊勢原市)。江戸時代中期頃から「大山詣り」がブームとなり、年間20万人が参詣したとも言われています。中でも現在の国道246号線のルート沿いを通る「矢倉沢往還」は庶民が盛んに利用した人気の大山街道の一つ。大山に参詣する人々は「大山講」という信仰によるコミュニティを組織して詣でた歴史があり、今でも都筑区、青葉区、緑区の大山街道沿いを歩いてみると街道が文化を運び広げた面影に出会うことができます。(上図:「相模州大住郡雨降大山全圖(3枚組)」歌川国芳作 弘化4(1847)年~嘉永5(1852)年 神奈川県立図書館デジタルアーカイブより)

取材・撮影 出口ひとみ


1.大山街道まち歩きで、文化の往来にふれる 〜大山街道ツアーを体験〜

2022年10月10日、今にも雨が降り出しそうな湿った曇り空の朝、私は長津田駅から集合場所のみどりアートパークに向かいました。「大山街道旧長津田宿と長津田十景を巡る」まち歩きイベントに参加するためです。主催したのは横浜市緑区民文化センターみどりアートパーク。大山街道における長津田宿の歴史を感じつつ「長津田十景」という地域の名所も巡ることで、地域資源の再発見につなげようという趣旨を事前に聞いていたので、見どころスポットが盛りだくさんの1日になりそう!とワクワクしながら集合場所に到着しました。

同館のロビーに到着すると、ガイドを担当する「NPO法人神奈川区いまむかしガイドの会」の方々が待っていました。参加者が続々と集まり、総勢20名、2班に分かれてまち歩きがスタート。私は高橋さんのグループに入れてもらい、長津田の歴史的・景観的な見どころスポットを巡りました。

NPO法人神奈川いまむかしガイドの会の能條昭さん(左)と高橋紀さん(右)
大山信仰や大山街道についてお話を伺いました
左/NPO法人神奈川いまむかしガイドの会の能條昭さん(左)と高橋紀さん(右)。同会は横浜市内の史跡や旧跡、旧街道の案内を行うボランティアガイドの団体です。
右/スタート地点では手作りの資料を見せてもらいながら、まずは大山信仰や大山街道についてお話を伺いました。
大山が信仰の対象となり参詣が人気だった背景は、本記事の最末尾にリンクを記載した過去の記事に紹介したので、ぜひご参照を。
下宿常夜燈・石造物群
長津田歴史探訪マップ
左/下宿常夜燈・石造物群。
右/長津田十景に選ばれた場所には説明の看板や、地面には目印のタイルが設置されています。長津田十景を掲載した「長津田歴史探訪マップ」はインターネット上に公開されているので、それをダウンロードして見ながら歩くのも楽しそう。また、長津田十景を知らずに歩いていても、この目印や看板があることで思いがけず地域の宝物に気付くことができる素敵な仕掛けでもあります。

この日は、夜道を照らすために大山講中が建てたとされる「常夜燈」や、60日に一度の庚申の日に人々が集まり夜通し眠らず神仏を祀った風習の「庚申塔」、長津田村の初代領主・岡野房恒が開いた古刹やゆかりの神社に加えて、長津田に残る10の歴史的景勝地である長津田十景のうちの6カ所を訪れました。

途中、ガイドの高橋さんが「大山詣り」という古典落語の一節を披露してくれました。それがあまりに名調子で、私たちは一瞬で落語「大山詣り」の世界に引き込まれたのです。
「大山詣り」は、酒ぐせの悪い江戸の町人・熊五郎が大山詣りの帰り道で引き起こす騒動のお話ですが、この落語の中で語られる大山詣りの様子は、私が思い描いていたものより、だいぶ楽しそうな様子です。ここではサゲ(オチのこと)はお預け。ゴールで続きを聞くのを楽しみに歩きました。

落語のネタになるほど誰もが知るブームになったという大山詣り。詣でるための道として、江戸中期から現代までたくさんの人が歩いてきた「大山(街)道」とは、一体どんな道だったのでしょう。

2.霊山信仰のコミュニティ「大山講」

神奈川県伊勢原市にある大山は8世紀頃、山岳信仰・修験の地として開かれました。江戸時代中期からは庶民の信仰と物見遊山(今で言うレジャー的なもの)を兼ねて、年間20万人が大山を訪れたと言われています。その際の山登りは1人では行わず、「講」または「講中(こうじゅう)」と呼ばれるグループで行い、山登りのプロ「先達("せんだつ"または"せんだち")」にガイドをしてもらう場合もあったそうです。

そして各地から大山を目指す道は総称して「大山道(おおやまみち)」と呼ばれ、その中でも赤坂見附・青山を起点とし、現在の国道246号線におよそ相当する「青山通り大山道(矢倉沢往還)」は、江戸の庶民が大山詣りによく利用し、同時に江戸への生活物資を運ぶ重要な道でもありました。長津田宿は、その「青山通り大山道」と東海道神奈川宿、甲州道中八王子宿を結ぶ「神奈川道」が交差する要衝の地でした。公用で旅をする人たちの荷物を運ぶ人と馬を交換して乗り継ぐよう指定された「継立場(つぎたてば)」という役割を持つ宿場だったこともあり、長津田宿は通行も多く、旅籠や飯屋、かご屋などが軒を並べ、大変賑わったようです。この日もかつての街道の面影をあちこちで感じることができました。

図案 近世の近隣の街道MAP
神奈川県には江戸時代臨海部を通る東海道、山地で県域を通る甲州街道、県央を縦断する矢倉沢往還(大山街道)、中原街道など江戸に向かう道路網が発達していました。
また、幕末期開港して外国人が多く通る東海道は交通規制が厳しくなり、公用旅行者も庶民も矢倉沢往還を利用するようになり、なんと当時は東海道に代わる幹線の役割とすることが検討された時期もあったのだということです。
下宿常夜燈へ向かう途中にあった道しるべのお地蔵さん
「大山街道」と「神奈川道」が交差する場所
左/下宿常夜燈へ向かう途中にあった道しるべのお地蔵さん。
右/まち歩きでは「大山街道」と「神奈川道」が交差する場所も立ち寄ります。街道好きな参加者の方はとても喜んでいました。かつてはどれほどの賑わっていたことでしょう。
長津田宿常夜燈(上宿)
「大山街道」と「神奈川道」が交差する場所
左/長津田宿常夜燈(上宿)。天保14(1843)年に宿中の秋葉山講中が建立との刻銘があります。
右/大石神社。長津田の鎮守の一つ。ご神体は石神で、この大石には在原業平の伝説などいくつかの伝説があるとのこと。(参考:長津田歴史探訪マップ)

実は、2021年に青葉区にある「横浜市民ギャラリーあざみ野」が主催した大山街道ガイドツアーイベントで「荏田宿」も歩きました。荏田と長津田、隣り合う二つの宿場町ですが、どことなく漂う雰囲気が違うと感じます。主要街道の交差スポットがあった長津田宿は、大山詣りが目的ではない人々もたくさん行き交ってきっと活気があったのだろうと想像でき、荏田宿は静かにじっくりと大山詣りの旅の疲れを癒す宿場町だったのかなと思いを巡らせました。

不動滝
荏田宿を紹介する現地の看板
左/荏田宿を歩いた際に印象的だった「不動滝」。神秘的な雰囲気が漂っていました。
右/荏田宿を紹介する現地の看板。様々な種類の店が軒を並べていたことがわかります。

3.街道は、人・もの・文化の伝達ルート!宿場町はそれらが留まる結節点

2022年11月、横浜北部エリアの大山街道や宿場町について調べようと「川崎市大山街道ふるさと館」(川崎市高津区)を訪ねてみました。ちょうど企画展「大山街道と二子・溝口―大山まいり、商い、文化―」が開催されており(2022年12月まで)、溝口宿や二子宿、大山街道(矢倉沢往還)にまつわる貴重な歴史的資料が豊富に展示されていました。館内の資料によれば、なんと現在でも溝口には「大山講」が残っているとか!地域の商店主の方たちなどが組織し、コロナ禍前まではグループで大山詣でを行っていたのだそうです

溝口に残る大山講は明治44年に「小溝太々(だいだい)講」、のちに「大溝太々講」と名称変更し、グループで大山詣りを行っていたのだと展示されています。川崎市市域の講中には、「御神酒講」と呼ばれる講中もあり、大山にお神酒を天秤棒で担いで運んで奉納して持ち帰るというグループもあったそうです。横浜北部にも、きっと同様に地域ごとさまざまな大山講が存在していたのではないでしょうか?

館内の中でも目を引いたのが「納太刀(おさめだち)」でした。間近で見ると、長さ2.7メートル、重さ約20キロもあるという木製の太刀は迫力満点。納太刀とは、願い事が書かれた大太刀を数人で大山まで運び奉納する行事。奉納時には、自身の納めた太刀よりも大きなものを持ち帰ります。
かつては溝口の講でもこの納太刀が行われていて、毎年7月に開催される高津区民祭では揃いの白いはんてん装束を着て巨大な納太刀をかつぐパレードが行われてきたそう(2020年以降はコロナ禍のため実施されず)。地域の人たちが協力して願いを託した太刀を運ぶ。きっと出発の際には地域総出で旅の準備をし、運ぶ仲間の道中の無事を祈ったことでしょう。

電話もSNSも無い時代に、講は人々の思いを心の深い部分で結びつける大切な場だったのだと思います。今は様々な手段ですぐにつながれる時代のはずなのに、いわゆる「ご近所付き合い」だけはどんどん薄れている気がします。いざという時に頼り合えるご近所付き合いはとても大切なもの。講の果たした役割を紐解くことで、そのご縁を結び直すヒントを見つけられるかもしれません。

図案 近世の近隣の街道MAP
2022年12月までの館内展示の様子。御神酒講が運んだ「御神酒枠」や大山詣でに使われたものなどが展示されていました。
ほか、同館の展示では、大山街道(矢倉沢往還)が江戸時代に果たした次の3つの機能を知ることができました。
【公用の道】
矢倉沢往還は、江戸時代、村方支配に訪れる領主や村役人が江戸へ出向する道だったそう。矢倉沢(現在の南足柄市)には関所があり、長津田や厚木の宿は、公用で移動する人が荷物を運ぶ人や馬を交換する「人馬継立場」となっていたそうです。
【信仰の道】
江戸時代中期頃から江戸町人や関八州(武蔵、相模、上野、下野、上総、下総、安房、常陸)の庶民の間で盛んになった大山阿夫利神社への参拝道の道。毎年夏には江戸から伊勢原を経て大山へ詣で、帰りには江ノ島・鎌倉をめぐる行楽で賑わったそう。また、富士浅間神社へと続く「富士道」でもあったとのこと。
【輸送の道】
江戸と静岡東部を結ぶ流通路として相模川のあゆ、秦野のタバコ、駿河の茶・綿などの物資輸送にも使われました。
上記3つの機能を持つ大山街道(矢倉沢往還)は、神奈川県の県央を通る重要な道としての機能として明治まで盛んに利用されましたが、明治30年代に県道1号線(戦後拡幅整備された現在の国道246号線)が改修されるとその地位を譲ることになったのだそうです。

たくさんの人が往来していた大山街道。街道や宿場町で人々の出会いや、文化の交流などが生まれていたことを想像しながら歩いていると、当時の人たちが私たちのすぐ横を歩いているような気がしてきます。

長津田のまち歩きに親子で参加していた町田市在住の女性に今回の長津田宿のまち歩きの感想を伺うと、「説明を聞きながら歩いているうちに、昔にタイムスリップしたような不思議な感覚になりました。立派なお寺や神社がこんなに多い場所だとは意外でした。有意義な時間でした」と長津田エリアの新たな魅力に気づいたようでした。ゴールでは、高橋さんから楽しみにしていた落語のサゲ(オチのこと)を聞いてみんなで笑い、その日を無事に怪我無く笑顔で締めくくることができました。

皆さんも、ぜひ、かつての賑わいに思いを馳せながら身近にある大山街道を歩いてみてはいかがでしょうか。
当時の人たちの講というコミュニティや、生活の中での楽しみを想像しながら歩くと、昔も今も変わらない人の営みが愛おしく感じられ、いつもの道やまち並みがぐっと魅力的に見えてくると思います。

information

みどりアートパーク主催「大山街道旧長津田宿と長津田十景を巡る」

http://midori-artpark.jp/detals/000535.php

長津田歴史探訪マップ(発行 長津田宿の歴史を活かしたまちづくり研究会、横浜市緑区)

https://www.city.yokohama.lg.jp/midori/shokai/kanko/miru/nagatsuta-history.html

NPO法人 神奈川区いまむかしガイドの会

https://imamukashi.jimdofree.com/

横浜市民ギャラリーあざみ野

https://artazamino.jp/

川崎市大山街道ふるさと館

https://furusatokan.web5.jp/

この記事を書いた人

出口ひとみ

青葉区で社会教育に5年間携わり「人が生き生きとしている町」は自分たちで作れることを実感。故郷富山と横浜2つの「ジモト」がゆるやかに繋がることが夢。横浜市青葉区在住。一男一女の母。

よこはま縁むすび講中

http://yokohama-enmusubi.jp/

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